「謎好き乙女と明かされる真実」の感想。私は決して好きじゃない

 そろそろ発売されるということは作者の瀬川コウさんのトゥイッター情報からも知っていたのですが、新潮文庫nexの新刊情報が全然更新されなくて、9月30日に書店で見かけるまでこの本の情報を全く知りませんでした。
 だから思わず衝動買いしてしまったわけですが、最初から出たら買うつもりだったので衝動買いという訳でもないのか。
 まあ、買って、読んだわけです。

 まずはこのシリーズについてのお話を少し。
 このシリーズは高校二年生の主人公、矢戸春一が謎好きの少女、早伊原樹里と出会い、お互い騙し騙されながら日常に起こる謎に向き合っていく物語です。
 確か作者は昔、「日常の謎」というキーワードを使っていた気がします。最終的には日常の謎に収まりきらないミステリとなりましたが。

 一般的な評価は、高いです。
 例えば2015年の新潮文庫nexの人気投票では第10位に入りましたし(作品数が少なかったのはあるが)、ミステリ好きなら普通に楽しめる内容だと思っています。
 瀬川コウさんのトゥイッターではべた褒めのリツイートがたくさん見られますけど、まあトゥイッターまで探りに来るのはよっぽどのファンなのでそこまで気にしないことにします。でも、それだけ好きになる人もいる作品です。

 ……例えば私はムシウタって作品が好きです。
 でもそれに対して「あんな中二っぽい作品、どこがいいんだよ」なんて言われたらとても嫌です。いらつきます。
 もちろん個人のブログに書き込むだけですから、特定の誰かに対して、その誰かの意見を潰すように発言をするわけではありません。でも、ネット上に情報を晒すということは、それを読んだ誰かが嫌な思いをすることもあるわけです。
 だからこのシリーズが好きな人がたまたま読んだら嫌な思いをするかもしれません。
 しかし言います。

 私はこのシリーズが好きではありません。
 合わない、ではなく、むしろ嫌いに近いのです。


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 4巻の内容は、前半部分はいつもの日常の謎の進め方をされていました。主人公に多少の思惑はあったとしても、それも言ってしまえばいつものことですし、普通のミステリと別に変わりありません。
 私は早伊原樹里が提示した「誤った解答」までは推理できたものの、本当の真実にたどり着くことには失敗して、「彼女はそういう性格だったのかなぁ?」と納得したようなしてないような、でも楽しめたからいいかという風に思いました。
 
 しかしこの巻は最終刊なのです。早伊原樹里に隠された謎を解き明かさなくてはいけない大事な巻なのです。でも残りページ数が四分の一程度になっても、彼女の真相にはまだ少しも触れられていません。
 この時点で私は頭に不安の影がよぎるのを感じました。
「ちょっと待て。この分だと、どう考えてもクライマックスまでの下地を作って盛り上げるのにはどう考えてもページ数が足りないぞ」という具合に。
 そして実際、どうだったか。
 それは個人のとらえ方によるでしょう。だからこそ、満足したファンもいれば、納得のいかなかった人もいる。
 でも私は圧倒的に足りないと思いました。
 早伊原樹里の過去が明らかになり、それ以外にちょっとした驚く要素もあった。かっこいいセリフだって飛び出したし、早伊原の本当の感情だって明らかになった。
 そしてその感情は、現実にそういう過去があったら、そんな想いを抱いてしまうだろうっていう現実味だってある。
 でも違うだろ!

 この現実にまるで現実味がなくてフィクションの世界に真に迫るようなリアリティが存在するのは、事実は小説よりも奇なりなんて言葉の裏には、現実の、一つ一つの事実に即して人間の感情が生まれるとか、1と0の数字だけで今の世界が語れるとか、そういうわけじゃないって事実があるからなんじゃないのか。
 そうだよ、確かに春一の生き方と早伊原の過去を合わせて考えれば、受け入れられないって、悲観してしまう気持ちが生まれるのは明らかだよ。自分の異質さを目の当たりにして、決して相容れない考え方を持つ相手と一緒にいることはできないって考えることは、自然だよ。
 でも、それをこれまできちんと描いてきただろうか。
 現実にそんな過去を持つ人物がいたら、そう思うに違いない。
 それは、わかる。理屈でも、経験でも、それはわかる。
 でも、早伊原樹里がそういう人間だって、瀬川コウさんがこのシリーズの中できちんと描いてきたとは、私には思えない。ここに来て、春一の前にいる人間が早伊原でなくてはいけない理由が私にはわからなくなる。そこにいるのが代替可能なキャラクターにしか見えなくなる。
 だから、嫌いだ。

 理屈ではないことをもっともらしく伝える力が小説にはあると思う。「読ませる」って言葉は、そんな意味を持つときもある。
 有象無象の決まり切ったリアクションに、小説という形はいらない。漫画でも、アニメでも、文字にするならト書きだっていい。
 早伊原樹里が、その事実に対して、そういう感情を持って、そういう行動を取る人物だって、これまでに十分描かれてきただろうか? 私に早伊原樹里がそういう人間だって、読ませてきただろうか。言葉が尽くされてきただろうか。
 早伊原樹里の隠してきた過去を考えれば、彼女が今のような性格を持つに至ったということは理解できる、妥当だ、論理的だ。でも、これまで4巻にわたって描かれてきた早伊原の今を、そんな過去があったからと言われたって、納得はできない
 そしてそれをあっさり言葉の一つで解決して見せるのも、納得いかない。

 わかります。早伊原と春一は心の底で通じ合っていたし、お互いにどうしても違っている部分があったとしても、それを受け入れて前に進める下地はすでにできあがっていました。
 でもだからって、あの早伊原が動揺してからそれが丸く収まるまでがあまりに軽々しく感じられてしまうのは私だけでしょうか。

 
 きっと、私はこの作品に関してかなりうがった見方をしてきたと思います。
 その理由は私が瀬川コウという作家に固執しているから。
 彼のネットで公表した作品、「三番目の不都合な真実(セカンド・ジャスティス)」を読んで感動してしまった過去を持つから、きっとその時の感動を私はまだ求めているんだと思います。

 でも、今の瀬川コウという作家はそういう作風ではありません。
 謎解き乙女はミステリとして良くできたシリーズですし、方向性もぶれませんでした。ミステリ好きの期待に応える論理的な思考、ちょっとしたスパイス、きちんと作品の長所を理解した物語の立て方がなされてきました。
 人の感情にも理不尽な激情などなく、きちんと考えていけば登場人物たちの考えも理解できるようになっています。

 もう、それは理解しているんです。
 あの処女作と、今のテクニックに磨きをかけた作品とでは方向性からして違うものなのだと理解しています。
 だから1作目では微妙かな、なんて思いつつも2作目ではより洗練された作品になっていて悔しいけど面白い……みたいな思いまで抱きましたし、3作目は最初から最後まで安定して楽しむことができました。
 でも最終刊で春一が早伊原と向き合った結果があれで良かったのか。それだけはどうしても納得いかないんです。

 少なくともこのミステリにも、春一と早伊原という二人のボーイミーツガール要素は間違いなくあるんです。このキャラクターたちを元に展開されてきた物語なのは間違いないです。
 でもその最後で、私にはどうしても早伊原がこれまでの事件の犯人と同じような、ただの役割を持っただけのキャラクターにしか見えなくなったんです。
 ……彼女がそういう面も持ち合わせていたとかを早伊原の視点からもっと描くとか、その真相が明かされるシーンにもっともっと言葉が尽くされていたら、私の感じ方もまた違ったのだと思います。

 でも、事実関係から物語の展開を理解して、論理的に妥当だっていう結論は出せるんです。
 だけど、それがいいのかわからない。
 多少理不尽でも、言葉を尽くして「読まされ」てしまったかつての作品と比べて、それが悪いのか良いのかが分からない。
 
 
 結局これは懐古厨みたいなもので、どうしようもない過去への憧憬なのかもしれません。
 作品の良し悪しはつけられない。
 だから最終的に、私の感情だけですべてを語って、この作品は好きじゃない、嫌いだっていうことにしているんです。たぶん、その言葉だってすべてを言い表せているわけではないんでしょうが。


完全彼女とステルス潜航する僕等 (フールズメイト・ノベルズ)


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