アニメくまみこの最終回は、今日ようやく一般的なニコニコ会員の目に触れるようになりました。
私もそれに合わせて最終回を視聴したのですが、まあ……広く言われているように、ちょっと「良い作品だ」と評価するのは難しいかもしれないとは思いました。
であるがゆえ、今回は原作のくまみこを「本当のくまみこ」とする立場に立って、アニメ版の批判をさせてもらいます。
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問題点はたぶん、2つです。
1つはオリジナルシーンのよしおの発言がひどいことであり、2つ目はそのオリジナルシーンと原作のかみ合わせが非常に悪いことでしょう。
よしおの発言
よしおはひどいやつです。
……それは第一話から通して変わりませんし、マンガでもかなり非常識な人物なのは同じです。
彼は非常に行動力のある人間で、それゆえに思いついたことがあると周りを見ずに行動を始めてしまうようなところがあります。何かあるとすぐに、まちの嫌がることも平気で要求してきますからね。
だからといって、よしおはまちのことを大切に思っていないわけではありません。
基本的に「まちはできる子だ」みたいな考えが彼の頭の中にはあって、スーパーでのナメコ販売をなんとかやり遂げた後も、「人前に立って声を出す仕事ができるってことだなー、すごいなー」と嬉しそうに笑っています。(もっともこれは村おこしのための次のプロジェクト、まちのアイドルプロデュースも上手くいきそうだと思って喜んでいる部分も大きいかと)
彼にとって村おこしはとても大事なことです。
あまり共感できない人もいるでしょうが、多くの人が持つ「どっちを応援するかと言えば……地元?」くらいの気持ちを大きくしたのがよしおだと思ってください。
彼にとって村おこしは大事な目標で、ちょっとのことではあきらめられません。(ひびきから「こいつ熱いな」とキューンとされるくらいには)
しかしその村おこしのためには、まちが必要なのです。(とよしおは思っている)
まちが嫌がることでも、村おこしのためにはそれが必要なことなのです。(とよしおは思っている)
だから多少まちが嫌がっても(よしおは多少だと思っている)、スーパーでバイトさせたり、アイドルとして活動させたりしています。
でも原作では、よしおはまちが本気で嫌がることをさせませんでした。
ここが原作とアニメの違いです。
よしおは、アイドル活動もまちがこなせると思って頼んでいます。もちろんまちは「嫌だ」と言っていますが、よしおにとっても村おこしができないのは「嫌だ」といったところでしょう。
だからまちが本当にできないこと以外は基本的にやらせる。
でも仙台に行くこと。これをまちは本気で嫌がりました。無理だと言いました。
その結果、原作では仙台に連れて行くことはありませんでしたし、よしおが「巫女は現代の生け贄みたいなものなんじゃないか」とか、まるでまちを大切に思っていないような発言をすることもありませんでした。
そう、アニメで問題だとされるのは、よしおがまるでまちを村おこしの道具のように語っている点です。
この「まちが村おこしをやるのは、まちの意思よりも重要」発言がなければ、よしおの支離滅裂感はそこまでなかったでしょう。よしおが村おこしを大切に思っていることも間違いではないのですから。
原作のイメージ通りのよしおなら、まちも大事だし、村おこしも大事。最終回のようにまちがもう限界だとわかったら、いや、わかってなくても、無理矢理でやらせるという発言はしなかったでしょう。
原作部分とオリジナルのつなぎの甘さ
ここで原作のストーリーラインとアニメのストーリーラインを紹介。
アニメの11話と12話はアニメオリジナル要素が入ってきています。ただ、あくまで完全オリジナル回というわけではなく、11話の最初と12話の最後は原作のシーンが用いられています。
<原作>
- まちの仙台公演が決定
- ナツ、山神様に「まちが都会で暮らせなくなればいいのに」という本音をさらけ出す
- 山神様効果か、まちが「仙台の人から石を投げられる」夢を見る
- まち、仙台には絶対に行かないと言い出す
- まち、都会にも行かないと言い出す。ナツは喜ぶ
- 仙台には行かない
- よしおとひびきがラーメン屋へ。よしおは仙台の人に石を投げられたと語る
- よしお、村おこしの夢を語る。ひびき、キュンとなる。
- ナツ、まちと一緒に本当に嬉しそうにずんだモンブランを食べる
- 次の回。まちはころっと気分が変わって都会に行きたいと言い出す
とまあ、こんな感じです。
アニメでは3がなくなり、2と5の部分が後回しになり、6で仙台にいった場合の物語となっていました。さらに最終回なので10は存在しません。
まずちぐはぐなのは、アニメでナツが仙台行けば? とまちをそそのかしていること。そしてまちがその気になって出発した後で、2の内容を山神様にさらけ出します。……まあ、まちが旅立ってから自分の気持ちに気づいたってことで、ここは納得できますが。
そしてアニメオリジナル部分のあらすじはこうです。
- まち、仙台のアイドルコンテストへ
- 山神様の影響か、周りの人が自分を田舎っ子だと馬鹿にしているように感じる
- リハーサルで逃げ出す
- よしお、ひびき、ナツに電話をしてまちをさがす
- しかし見つからない。デパートの屋上でひびきがよしおに対して「村おこしがそんなに大事かよ」と言う。よしおは「まちは村の巫女だ。だから役目を全うしなきゃならない」と返し、ひびきは怒る
- まち、実はその話をこっそり聞いていた。責任を感じて悩むところに、無垢な少女が現れ、まちを励ます
- まち、ステージに上がる。が、何もできない
- ナツ、村から仙台にやってくる。緊張して何もできないまちに対して叫ぶ
- まち、山での景色を思い出し演技を成功させる
- まち、演技が終わって我に返り、帰ると同時に観客から馬鹿にされ、石を投げられたと錯覚する
- 村に帰り、まちは都会の高校にはいかないと言う。なお、石を投げられたという記憶はすでに本当のことだと信じ切っている模様
という内容。
5の内容で村おこしに対するよしおの姿勢に反感を示した後で、原作通り、よしおが村おこしの夢を語る場面でキューンとなるのはおかしいですね。あのシーンはなんだったんでしょうか。
そして10番の内容からの原作通りの、都会に行くという目標に対して疲れ果ててしまったまちを、ナツが「もう考えなくていいんだよ」とよろこんで迎えるシーンへのつなぎは、非常に怖い と反感を買っています。
対して原作ではまちは大きな失敗をしなかったし、その回は基本的にナツ目線で始まっていて、単純にナツの願いがかなった、よかった、くらいの微笑ましいものだったし、次回から再びまちもいつものペースに戻っていたので、何度も繰り返して読みたくなるような面白い回となっていました。
ニコニコ動画ではまるで最後の「ずんだモンブランを食べながら陽気に会話するナツとまち」のシーンまでもオリジナル要素だと思っている人が多そうだったのですが、実際にはそうではありません。
あのシーンを「まちが壊れた」と表現するコメントも多く(ひどい傷を負った後に、今まででは考えられなかったくらいの明るさで笑う)、まるであのシーンが悪いように書かれている気がしてならないのですが、問題なのはそのシーンへのつなぎなのです。2話分のトラウマを抱えさせたうえであのシーンにつなげるなんて、私は考えてもみませんでしたからね……。
まあ、加えてあのシーンで終わらせるのもどうかと思いますが。
ここまで批判と文句を並べてきましたが、私はこのアニメ作品が嫌いではありません。
かなり好きと言っていいでしょう。
物語としてよしおの発言はシリアスをはき違えているような気がしましたし、締め方はすっきりしないものが心に残るのも事実です。
しかしまちの声、EDなど、まちの魅力が前面に押し出されたのはアニメの方だと思いますし、なによりくまみこという作品を私が知ることができたのはアニメがあったからです。
また、8話などのまちがひどい目に合うお話は、受難ネタとしてはアニメの方が面白い内容になっていると個人的には思っています。
だから私は、総合的に見てアニメくまみこは面白かったと、そう思います。
これからは漫画の方を応援していきたいですね。原作ではついに初めてまちが村を出ましたから。
なお、kindle版では1~3感が半額です。
私が原作を知らないからかあの内容はそこまで気になりませんでした。
くまみこ好きだし、黒歴史扱いされて悲しいです。
ただ、原作勢からしたら許せないものがあったのでしょうね。