僕が愛したすべての君へ (ハヤカワ文庫 JA オ 12-1)
君を愛したひとりの僕へ (ハヤカワ文庫 JA オ 12-2)
7月の購入予定に次点として入れていた作品ですが、読み終えて感じた感情が消えてしまわないうちに感想を残しておきたいと思いました。
私が感じたのは色濃い悲しみ。
物語の最後に提示された救いが、私にとってはひどく悲しいものに映りました。
スポンサードリンク
この作品は2作同時刊行の作品。
どちらから読んでもかまいません。「僕が愛したすべての君へ」の帯には「君を愛したひとりの僕へ」に続く、と。「君を愛したひとりの僕へ」の帯には「僕が愛したすべての君へ」に続く、と書かれています。
続く、という言葉はしかし、そこまで適切なものだとは思いませんでした。
この作品はやはり2作で完成された物語ですし、それぞれが並行に存在するものだと思いました。
私は「僕が愛したすべての君へ」を読んでから「君を愛したひとりの僕へ」を読みました。
表紙の色合いからも推測できるくらいには「僕が愛したすべての君へ」は幸福が描かれ、「君を愛したひとりの僕へ」は悲劇的な物語でした。それでも「僕が愛したすべての君へ」をふまえればその悲劇に救いはあるのですが、二つの作品が「僕」と「俺」、二人の人生を対比して描かれることでいっそう悲しみが胸の内に残ります。
両方の作品は、並行世界をテーマとしています。
並行世界が一般に認知されていく中で「僕」こと高崎暦が瀧川和音と出会い、人を愛するということを考えていくのが「僕が愛したすべての君へ」でした。表紙にあるような少年時代だけでなく、青年期、壮年期、そして老いて人生を終えるまでに物語が及んでいるのが二作に共通する特徴です。
「君を愛したひとりの僕へ」は、同じように並行世界が認知されていった世界で、「俺」こと日高暦が最愛の佐藤栞を失うまでの物語です。もう一作で瀧川和音と愛し合い、幸せな家庭を築いた「僕」は「俺」と同一人物のはずなのに、どうしようもなく違う人生を歩むことになるのがたまらなくつらいです。
この物語は両方のタイトルには「僕」だけが共通していて、そこに「俺」は存在しません。
「僕」は物語の中で多くの事実と直面し、並行世界の上に成り立つ自分の世界を愛することができました。「僕」は並行世界のどこかに1%の不幸があることも承知していて、それでもなお幸せに生きています。決してどこかの世界の自分が味わっている不幸を知らずにのうのうと生きているわけではありません。
しかし、その1%の可能性を見てしまった私は、「僕」だけにしか幸せが起こらなかったことに悲しくなります。
「俺」や佐藤栞に確かに救いはありましたが、「僕」と瀧川和音の幸福を見た後ではその救いさえ胸に刺さります。「俺」と佐藤栞に他の可能性がなかったのかと、もっと幸せな結末はなかったかと、あてもなく夢想してしまいます。
二つの作品が絡み合う瞬間、胸に残る結末、総じて良い作品に巡り会えたと思います。
たぶんこの悲しみは私の中で風化してしまうけれど、なくさないように抱えて生きていこうと思います。
・追記
「君を愛したひとりの僕へ」では、こんな一言が出てきます。
俺と栞が出会った場合、どの世界でも必ず不幸になるのではないか(P168)
この言葉は運命論じみた一言ですが、実際に「俺」と栞が出会った世界では二人は必ず恋に落ち、そして栞を助けることは叶いませんでした。
でも一方で「僕が愛したすべての君へ」においても、「僕」と和音は出会い、二人は引かれ合いました。
だからこの物語はある種の運命というものに支配されているのだと思います。
それに気づいてしまったからこそ「君を愛したひとりの僕へ」においての結末は、「俺」の選択以上に最良のものはなかったのだと思い知らされ、なお悲しく感じてしまいました。